東京投資女子。

会社員をしながらあらゆる投資を実践するアラサー女子のブログ!おすすめ投資や、お金(価値基準)の考え方、コミュニケーションでひととのつながる"資産"を築く方法を模索します。

良質なものは、無料ではない。

自分の時間は有限だ。だからこそ、日々絶対に気づいていた方がいいこと。


それは、「自分の見ている(聞いている)ものに、どの程度の”広告”が入っていて、どの程度純度が高い情報があるかどうか」ということ。端的に言えば、目にするもの耳にするもの、ちゃあんと身になるものだけ選び取ろうよね、ってこと。
(ちょっと漠然とした話になるかもしれないけれど)

 

自分の時間は24時間で、その時間をどう使っていくかが自分の生き方をよりよく使うであったり、より社会に対して価値を生み出せるかどうかにかかってくる。
そこで今日は、自分が触れる「メディア」について考えてみたい。
ここでいうメディアとは、「テレビ」「雑誌」「webニュース」「SNS」等、何かしらの情報発信が行われているものを指す。

 

これまで、奇しくも気づかなかったけれど、自分の見ているものには、少なからずとも広告が入っている。
練りこまれた企画を次々発信したり、多くの人を惹きつける芸能人があふれるばかりに登場するテレビにはCMという広告が入っているし、
紙媒体の雑誌を読んでいれば、何気ないページめくりの隙間に小さく「PR」と書いてある広告が潜んでいて、
毎日読むブログには、それと似つかわしい広告が設置してありついついクリックしてしまうのである。

 

本来自分が手に入れたかった情報があるはずなのに、(特にテレビなんかは)そのコンテンツを楽しもうとすると必ず広告の存在は避けられなくて、自分の見ているものが番組なのか広告なのかわからないほど分量が多かったりして。


自分が好きなメディアがあっても、ついついその自分が取りたい情報以外に自分の関心を煽る広告(例えば投資関係や、きれいになりたいとか、欲しいものとかの欲望を煽るとついついつられがちだ…私も 笑)に気を取られ、本筋で読みたかったものから気づけば違うところに戦意してしまうこととか。
自分が意識していないうちに、結構起こっているものなのかも、と思う。

 

自分の時間は限られているために、自分が本当にやりたいこと、その多くが勉強だったり、自分の求めている情報収集だったり、そこをどうやって叶えていくかはとてもとても大事だからこそ、自分が真のコンテンツと広告の違いを見極めていくことが何より必要なのだ。

 

そう考えると、本やkindleは広告がないし、有料noteは無料ブログよりも濃くて良質なケースが多いし、オンラインサロンも中のスレッドなんか広告もないはず。真の情報にはちゃんと対価を払って取りに行く、ということが本来あるべき姿なのかもしれない。
ほんとうに無料なものなんて、というよりも、「無料でもらえるのが当たり前」と考えるのはやっぱりあるべきじゃないと思うのでした。

 

もちろん受け取る価値についても、そう。

そして同時に、自分の提供する価値がいつかちゃんとお金になる(それは誰かに価値を提供できるものになると同義)ように、たとえばいつか自分の書いているものが有償でも欲しいと言ってくれる人が出てくれるように、修行し続けたいな、と感じる今日この頃。