価値消費の「ブラックホール女子」にならない。
東京にいれば、息を吸うように消費してしまう。
行きがけに美味しそうなコーヒー屋さんができていたらコーヒーを飲みたくなり、いつもセンスの良いお洋服を提案してくれるお店のウィンドウを覗けば「オシャレさん」に見えそうなコートが売っている。友達との飲み会があれば凝った盛り付けのされている前菜がイケメンのお兄さんに一声かければ出て来るし、お世話になっている上司とバーに行けば気づけばお会計は終わってる。あ、道をあるけば喉が乾いたときの自販機も完備、とかね。
嫌な人は嫌かもしれないけど、わたしはここ数ヶ月でハッとその事実に気づいた。
わたしの20代は、まだまだ消費のプロでしかなかったことに。。
少し前に話題になった「君たちはどう生きるか」という本にもあった。
「社会のお客様でいてはならない」という言葉。
まさに、その通り。
わかりやすいので、お金で例える。
ある程度もらっていたお給料は、これまで、それをいいことにちゃあんと使っていた。
自分を楽しませることには、食、ファッション、娯楽など存分に使ったし、誰かのためにも惜しげなく使った。
もちろんこれが自分の血肉になり、良い経験や人脈やあらゆるところに成果を出してることも、もちろんある。
でも、今思えばこれがどこか意識せずに行っていた、というか、無限に吸い込むブラックホールのように、ごっつぁんです!と言い出しそうなくらいたくさんの価値を消費して来た気がして。
たとえば、誰かに贈ってもらったギフトとか、ご馳走になったレストランや、誰かに盛り上げてもらった会話とか、
小さく見ても、色々ある。
収支はお金で見ると、「収入−支出」で。ついお金ベースで考えていたから「よし、総額で見ると、プラスだった…!」と安心していたけど、どうやら違う。この「お金で測れない分の「価値生産−価値消費」は、なんかまだまだ消費の方が多いように感じる。
そう、ちょっとずつでいい、
自分の使っている価値をお金ベースでもいいから認識して、自分の手に渡るまでにどんな人の努力で来ているのかに想いを馳せ、10秒でも「ありがとう」を思う時間が増えたらいい。そして、自分なら、どんな価値を生み出せるかも、ちょっと落ち着いてから考え始めたらいい。
自分が使う価値よりも、生み出す価値を大きくしたい。
そうすれば、自分の人生も、社会ももっとよくなる、はず。そして、将来手元に残る価値も、どんどん増幅していく気がするんです。
投資女子はお金のみにあらず。
価値ベースで考えよう。