自分の努力で手に入れたものこそ、忘れない。
逆に、何気なく手に入れてしまったものは、覚えていない。
東京は、若い女子が「もらいやすい街」なのかもしれない。
東京で働いていれば、きっとどんな瞬間でも、「もらって」いることがあると思う。
仲良くしていた人に連れて行ってもらった、とあるレストランのVIPフロア。
お世話になっている人にプレゼントでもらったイブサンローランのお財布。
クラブで飲ませてもらったシャンパーニュ。
30階overの老舗レストランで食べた豪華食材のフルコース。
決して巷の「港区女子」ではない私でも、ぱっと思い返すだけでもこんなに東京っぽい体験がある。もちろん、わかりやすいものをあげているから、もっと例えば上司に飲み代をおごってもらったりとか、お世話になっている人にコスメのプレゼントをもらったりとか、結構誰でも無限に出てくるものだと思う。
きっとそれは誰かの好意で成り立っていて、当時の私はにこやかにすべてをありがたく頂戴していた。ほんと、ごっつぁん体質。
それでも、ほんとうに忘れられないものはちょっと違うような気がしていて。
手に入るまでの難易度が高ければ高いほど、満足度も上がっていくものなのかもしれない、とも思う。
努力したボーナスで買った初のラグジュアリーブランドのバッグとか、
初めての仕事をもらって一日中働いてくたくたになった後の焼き鳥&ビールとか、
自分が頑張って探したレストランで緊張しながら予約したときのデートとか、
なんだかんだ、覚えているのは「自分がどれだけのコスト(時間や気持ち)」をかけられたか、に影響しているのかもしれない。
もちろん、努力せずに手に入れられるに越したことはないけれど。
きっと何かを手に入れたいと思ったときに、かけた労力と感動度はどこか比例するようになっていて、その分それがご褒美のスパイスのように体験を鮮やかにしてくれると思うんです。
手に入らないものがあるなら、それが手に入った時の喜びが格別になる。
それでも、いつでも簡単に欲しい物は手に入れたいって思っちゃうけどね。
そう思いながら、欲しいものを思い浮かべてついに「手に入る!」って思った瞬間が、実は一番楽しい気がしてます。
健全な欲望は、楽しく生きる原動力になるのです。
さて、何が欲しいかなー。